どういう意味?

「ことば」の解釈斜め読み

「これ何? 寿命 」

  「これ何? 」:旋火輪
 
 「寿命はだれが起こしたものか、
  だれによって無くされるのか。
  それは旋火輪のように始めなく。
  終わりがない。」 (華巌経)
 
 人の寿命は、だれが決めたものでもない。
ましてや己の寿命など知る由もない。
 
 初めもなく、終わりもない「旋火輪」の
ようであるとしています。
 
 だからこそ、今を誠実に力の限り
生きることが大切だと説いています。
 
 これは、マルティン・ルター
  ”たとえ明日、世界が滅亡しようとも、
 今日私はリンゴの木を植える”
 との精神にもつながるものなのでしょう。
 
 *大雪や 今日も巣ごもり 哲学書
            2021.01.10.moai291

「これ何? 己」

  「これ何? 」:カワイイ
 
 「己にひとしき可愛いものはなく、
  穀物にひとしき財宝は無く、
  智慧にひとしき光明はなく、
  雨は最高の湖なり。」  (釈迦)
 
 他者の存在を認めたうえでの
自分が「カワイイ」と言う事なのでしょう。
 
 穀物は、生きる為に欠かせないものであり、
雨は、その穀物等を育てる天の恵みである
としています。
 
 また、豊富な知識より、生きる智慧
大切だと説いています。
 
 たとえ詰め込んだ知識であっても
その知識が「智慧」の礎になる事は
ゆるがせにできない事実であると
思われますが…………。
 
  * 香り発つ 花は見えねど 水仙
      2021.01.09.moai291

「これ何? 万象 」

  「これ何? 」:自然の中に
 
 「飛花落葉、ことごとく己の迷いの心を
  解きほぐす道場である。
  清風名月も、己とともに善を修め
  悪を止める友である。」  (十善法語)
 
 大自然の中の、花や落ち葉のありようは、
人の心を慰める。
 
 また、月を眺めて思いにふけることが
心の支えになる事もある。
 
 万象のありようは、「勧善懲悪」の助けでもある。
 
 さぁ、時には書を捨てて、自然と仲良く生きる
いき方もイイモンダ………。
 
 * 雪のあさ 朝刊午後に なりにけり
          2021.01.08.moai291

「これ何? 水滴 」

  「これ何? 」:新しい写経
 
 「つとめて精進すれば、成し難き事なし。
  わずかな水でも、つねに流されると
  石をうがつがごとし。」  (釈迦)
 
 一言で言えば、
「継続は力なり」と言うことなのでしょう。
 
 飽きっぽい我は、継続して行ったことなど、
ほとんど思い当たらない(残念ながら…)。
 
 しかし、コロナ禍が終息するまでの
限定として始めたこのブログですが、262本の投稿は、
比較的長続きしているた方だと我ながら思います。
(継続しているとまでは言えないデス。)
 
 もし、これを継続と言うのなら、その効果は
あったのだろうか? 自己満足の効果くらいかな~。
 
 あぁ、それからこのブログは、非常にマンネリ化
していますが、何かを書くことで、こちらの心が
おちつくこともママあります。
 
 この状況を我は、ブログ=「新しい写経」と自分で
勝手に呼んで悦に入っています。
 
 さて、個人的事情はさておき、
「早くコロナが収束してくれないかな~」
と思う年初めです。
 
 早く収束してくれないと、
ブログの「終点」が見通せませんデス………。
 
  * 初雪や 猫は窓辺で 空仰ぎ
       2021.01.07.moai291

「これ何? 主体性 」

   「これ何? 」:一言
 
 智慧、そして戒律や道徳に関して、
  世間の人に対しあれこれ言うな。
  自分は、人々に比べて等しいとか
  劣っているとか、勝っているとか考えるな。」 
               (仏陀
 
 他者の生き方や道徳、戒律などについて
どうこう言うべきではない。
 
 また、他者と比べての自分の優劣を
気にしすぎるべきではないとしています。
 
 自己の主体性が大切と言うことなのでしょうが、
凡夫の我は、どうしても他人の言動、行動等が
気になってしまいます。
 
 時には、「モノ言う事」も必要ではと考えていますが、
極端な物言いは、自戒すべきと言う事なのでしょう。
 
 * 注連飾り 代々続く 蔵の家
               2021.01.06.moai291

「これ何? 徳 」

 「これ何? 」:過失
 
 「他人の過失について語る人は、
  我身に徳のない人である。」 (明恵
 
 明恵上人は、凡夫はおおよそ他人の過失について、
あら捜しを行い悪口を言い、責め立てるなど
徳のない行為をするものであるとしています。
 
 他人の過失について、それを指摘する事自体は、
一概に悪い事とも思われませんが、表面面だけを
捉えて、本質を理解していない事が、往々にして
あると思われます。
 
 まず「事実」を知り、「本質」を理解していく
プロセスが重要なのでしょうが、昨今のSNSや各種の
報道は、何が事実なのか判別し難い情報が多すぎます。
 
 膨大な情報(報道等)から、「事実」を見つけ
事の本質を理解していきたいと思うのですが、
なかなか困難な状況に陥っている昨今です。
 
 *初メール 手書に似たる 文字探す
                 2021.01.05.moai291

「これ何? 十善戒 」

 「これ何? 」:正しい見方
 
 「本当の安楽は、身を慎み誠実な心にある。
  怠惰にあるのではない。」 (慈雲飲光)
 
 慈雲飲光は、江戸時代後期の真言宗の僧侶です。
真の安らぎは、規則正しい生活と真摯な言動にあるとしています。
 
 そして、人々が護るべき事柄を、「十善戒」としてまとめています。
  ①いのちを粗末にしない
  ②自然や他のものを盗まない
  ③誤った交わりをしない
  ④うそを言わない
  ⑤言葉をかざらない
  ⑥他人の悪口を言わない
  ⑦二枚舌を使わない
  ⑧物おしみをしない
  ⑨怒らない
  ⑩物事を正しく見る
 
 この中で⑩の「物事を正しく見る」ことが
貫徹できれば、他の事はそれから派生した
ものとも思われます。
 
 簡単に「物事を正しく見る」と言いますが
それは、本当に難しいことなのでは無いのでしょうか。
 
 * 書初や 初孫袖を 黒くして
      2021.01.04.moai291