どういう意味?

「ことば」の解釈斜め読み

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「敵・味方 (慈24) 」

「原爆、水爆は味方を救うことができても、 敵を救うことはできぬ。 敵も味方も救うことが できるのは坐禅のみである」 (澤木興道老師) *明治から昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶。 原爆、水爆は、「敵・味方」 双方ともに救うことは 出来ないものと、…

「生きながら死す (慈23) 」

「生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき」 (至道無難禅師) *江戸時代初期の臨済宗の僧侶。岐阜県関ヶ原に生まれ。 もしも、生前の 「死」 を完全に実現出来たなら、 思いのままに振る舞ったとしても、その行い(わざ)は よいも…

「戒 (慈22) 」

「戒あって犯する者は、戒なくして犯せざるに勝る」 智顗(チギ) 天台宗の「五戒」とは、 1. 命のあるものを、むやみに殺さず、積極的に生かす。 2. 与えられないものを、強引に手にいれない。 3. 情愛は社会の秩序、子孫繁栄の元と心得る。 4. 常に真実を語…

「学を好まば (慈21) 」

「無常迅速なり。 生死事大なり。 且く存命の際、 業を修し学を好まば、只仏道を行じ仏法を学すべきなり」 (正法眼蔵随聞記) *「正法眼蔵随聞記」は道元禅師の説示を、 懐奘禅師が筆録したもの。 世の中の一切の事象は速やかに過ぎていくものです。 また…

「三毒 (慈20) 」

「飢渇は大貪より起こり、疫病は愚癡より起こり 合戦は瞋恚より起こる」 (日蓮聖人) *鎌倉時代の仏教の僧。 鎌倉仏教のひとつである日蓮宗(法華宗)の宗祖。 「貪(トン)」、「瞋(ジン)」、「癡(チ)」は、苦を引き起こす 煩悩であり、仏教における「三…

「平常心是道 (慈19) 」

「平常心是道」 (景徳伝灯録) *中国の禅宗史書の一つ。 禅宗の系譜、インド・中国の諸師の伝記を記した中国の仏書。 1004年(景徳元年)宋(そう)の道原の編。 普通通りに行うことが、「仏道」であると言っている。 普通通りにルールを守ることの難しさ…

「パンチ力 (慈18) 」

「打つ人も打たるる人ももろともに ただひとときの夢のたわむれ」 (夢窓疎石) *鎌倉末〜室町初期の臨済宗の僧。伊勢の人。 京都嵯峨に天竜寺を開山。 疎石が、弟子を連れて信州に旅に出た。 途中、天竜川を下ろうとしたとき、傍若無人な酔った 武士がいた…

「安心 (慈17) 」

「捨てし身をいかにと問えばひさかたの 雨降らば降れ 風吹かば吹け」 (良寛) 良寛和尚は、越後の国三島郡出雲崎(新潟県)で、 名主をしていた裕福な家の息子。 江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。 色々な困難が待ち構えている人生、 世捨…

「花 (慈16) 」

「捨てられてなお咲く花のあわれさに また取り上げて水与えけり」 (九条武子) *西本願寺・大谷光尊の次女として生まれる。 大正~昭和時代前期の歌人。 後年には社会運動活動家としても活躍した。 シンプルな表現がなされている和歌です。 「花」 をその…

「自分を生きよ (慈15) 」

「自分を生きよ、おれは他人の鼻を借りて息をしておらん。 おれはおれの鼻で息をしているんだ」 (澤木興道老師) 明治から昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶。 定住する寺を持たず「宿なし興道」と呼ばれた。 「自分を生きよ」と言われても、俗人(凡夫)の…

「歩み (慈14) 」

「行を同じくして、歩みを同じくせず」 (従容録) 「従容録」は、碧巌録と並ぶ禅門二大宝典のひとつ。 中国,元代の禅文献の一つ。 仏道を学び、修行する道は同じであるが、 その方法は、個々人によって当然違いが出てくる。 目指す方向は同じであるが、そ…

「短気 (慈13) 」

「そなたは面白い物を思いつかれたの。今も短気がござるか。 あればここへ出さっしゃれ、直して進ぜよう。」 (盤珪) 盤珪:江戸時代初頭の臨済宗の禅僧。 自らの修行遍歴の体験から、「不生の仏心」を説く「不生禅」を創始。 「短気」や「絶望」などは、一…

「臨終停年 (慈12) 」

「掃けば散り払えばまたも塵つもる、 人の心も庭の落ち葉も」 (松原泰道) 日本の臨済宗の僧侶。東京都港区の龍源寺住職。 不要なものは捨て、必要なものは整理しておけば いつもきれいなはずである。 しかしながら、時間が立つと、いつの間にかまた 不要な…

「菜根譚 (慈11) 」

「かりに悪事をはたらこうとも、人に知られることを恐るるなら、 まだ見所あり。せっかく善行を積もうとも、早く人に知らるるを 願うようでは、すでに悪の芽を宿すなり。」 (菜根譚) 「悪事」を「悪事」と認識できる者は、まだ見どころがある。 何が悪かっ…

「道をしへ (慈10) 」

「人は「阿留辺畿夜宇和(アルベキヨウワ)」という七文字を持つべきなり。 僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。」 (明恵上人) 明恵(ミョウエ)上人は、鎌倉時代前期の華厳宗中興の祖。 当時は混乱した時代でもあり、僧・俗とも生き方に乱れが生じて…

「看脚下、足元を (慈9) 」

「知らず脚跟下(キャッコンカ)に大光明を放つことを」 (碧巌録:臨済宗の公案を集めたもの) 「脚跟下(看脚下)」と言う言葉は、他を論ずるより先に、 まず自己を見つめていく事をすべきと言う意味があります。 前ばかり見ていないで、足元をよく見よ、 そこに…

「無為の境地 (慈8) 」

「無事是れ貴人なり、ただ造作することなかれ」 (臨在録:中国唐時代の臨在禅師のことば) 無事とは平凡なこと。 造作することなかれとは、「カッコつけるなよ」と言う事。 見せるための修行であってはならないと解される。 禅宗の修行においては、何もして…

「ありのまま(慈7) 」

「貧しきてへつらわざるはあれども、 冨みておごらざるはなし」 (道元禅師) 道元禅師は、鎌倉時代の1200年京都生れ、曹洞宗の開祖。 自分が貧しいと思っていても、他人に「へつらう」ことは しない者がいる。 一方、自分が優位であると思っている者は、 す…

「虚心坦懐 (慈6) 」

「目近きことを知らずして、人を恥ずかしむべきに あらず、めずらしきことを一句知りたりとて、 人を高くみるべきにあらず」 (沢庵和尚) 沢庵宗彭和尚は一五七三年、但馬国出石の生まれ。 臨済宗の僧。 みんなが知っている様な事を知らないからといって、 …

「独り断ぜざる~(慈5) 」

「夫れ事独り断ずべからず、必ず衆とともに宜しく論ずべし」 (聖徳太子:十七条憲法) 聖徳太子が推古12(604)年に制定したとされる 「十七条憲法」は、 政治に関わる人々に道徳や心がけを説いたもので、現代の憲法とは 少し趣を異にしています。 見出しの…

「気づき(慈4) 」

「まことに知る、智者の手に入るときは 則ち黄葉もまた真金なり」 (白隠禅師) 白隠禅師は、江戸中期の臨済宗中興の祖、駿河の国の仏僧。 物事の価値は、それをどの様に扱うかによって決まる。 智者は、価値の無いと思われるものでも、価値あるものとして …

「道と徳、山と海(慈3)」

「道は山のごとく、登ればますます高し、 徳は海のごとし、いればますます深し」 (瑩山禅師) *瑩山禅師は、鎌倉時代の禅僧。曹洞宗中興の祖(越前の人)。 修行が進めば進むほど、その奥行きは深まってくる。 いくら「徳」をつんだと思っても、更に探求す…

まるまるのまる?(慈2)

「まるまると まるめまるめよ わが心 まんまるまるく まるくまんまる」 (木食上人) *木食上人は、江戸時代後期の真言宗の僧 声に出して読むと、なんだか 「まるく」 なった様な気がします。 (本当ですよ。 気のせいでしょうか?) 西洋の諺には、「A rol…