「かりに悪事をはたらこうとも、人に知られることを恐るるなら、
まだ見所あり。せっかく善行を積もうとも、早く人に知らるるを
願うようでは、すでに悪の芽を宿すなり。」 (菜根譚)
「悪事」を「悪事」と認識できる者は、まだ見どころがある。
何が悪かったかの一端を理解しているからである。
いわゆる「善行」と思われる行為を行った人でも、
世間に広くその行為を知らせたいとの思いが強ければ、
強いほど行った「善行」の価値は減じてしまう。
なぜなら、この人にとっては、成しえた「善行」より
「周知する事」が主になってしまうからである。
対立した位置づけとはせず、それぞれの思想を融合する事により、
よりよく生きる方策を見いだす事が出来るとの主張があります。
「菜根譚」に色濃く表れているのは、「中庸」の考え方です。
人生の知恵、処世の道を説いている書です。
中国よりは、むしろ日本において禅僧や企業経営者をはじめとする
多くの方々に読まれています。
菜根譚(サイコンタン)の作者は、「洪自誠(コウジセイ)」、
中国の明代末期の人物です。
そんなに難しい内容でもなく、文庫本にもありますので、
一度目を通してみてはいかがでしょうか。
端居して「菜根譚」を独り読む
2020.06.15 moai291