どういう意味?

「ことば」の解釈斜め読み

「菜根譚 (慈11) 」

 かりに悪事をはたらこうとも、人に知られることを恐るなら、
 まだ見所あ。せっかく善行を積もうとも、早く人に知らるるを

 願うようでは、すでに悪の芽を宿すなり 菜根譚

 

 「悪事」を「悪事」と認識できる者は、まだ見どころがある。

何が悪かったかの一端を理解しているからである。

 

 いわゆる「善行」と思われる行為を行った人でも、

世間に広くその行為を知らせたいとの思いが強ければ、

強いほど行った「善行」の価値は減じてしまう。

 

 なぜなら、この人にとっては、成しえた「善行」より

「周知する事」が主になってしまうからである。

 

  「菜根譚」では、「三教(仏教・儒教道教)」を

 対立した位置づけとはせず、それぞれの思想を融合する事により、

よりよく生きる方策を見いだす事が出来るとの主張があります。

 

 「菜根譚」に色濃く表れているのは、「中庸」の考え方です。

人生の知恵、処世の道を説いている書です。

 

 中国よりは、むしろ日本において禅僧や企業経営者をはじめとする

多くの方々に読まれています。

 

 菜根譚(サイコンタン)の作者は、「洪自誠(コウジセイ)」、

 中国の明代末期の人物です。

 

 そんなに難しい内容でもなく、文庫本にもありますので、

一度目を通してみてはいかがでしょうか。

 

   端居して「菜根譚」を独り読む

         2020.06.15 moai291