「自分を生きよ、おれは他人の鼻を借りて息をしておらん。
おれはおれの鼻で息をしているんだ」 (澤木興道老師)
明治から昭和を代表する日本の曹洞宗の僧侶。
定住する寺を持たず「宿なし興道」と呼ばれた。
「自分を生きよ」と言われても、俗人(凡夫)の私は、
その 「自分」 がまだ分かっていない。
自分なりに「分かろうとせよ」と言っているのでしょう。
導師は、「我々は意識に味を もたしなれているので、
無味無色の仏法にはなかなか入りにくい」 とも言っています。
また、こうも言っています。
「明日のことは、今日わからない。われわれには現在の瞬間ぎりの
ことしか、確かなことはわからない。 つまり、今だけが本当だと
思っておればよい」 と。
凡夫は凡夫なりに、現在の自分を見つめていく「意識」を持つ事
が大切であると言うことなのだと勝手に解釈しています。
凡夫になる事すら難しい…………
永年、苦行をなしえてきた人の言葉を、「のんべんだらり」と
過ごして来た私が簡単に理解などできるはずもありません。
何とか理解しようとする気持ちだけは、今後も持ち続けて
いきたいものです。
プロポーズ 目覚めの夢か 蜃気楼
2020.06.19 moai291