「これ何? 」:高見の
「高い見通しのつく処に立っておるばかりではいかぬ。
その方角の分かった処へドンドン進まなければならぬ。
方角さえ分かれば、どちらへ進んでも誤らない、
どんな仕事をしてもうろたえない。」 (澤木興道)
どちらの方角へ進むべきかを決めるのは、
自身でしかない。
その方角が正しいか否かを見定めるのも自身である。
しかしながら、これらを決めるためには
他者の意見に謙虚に耳を傾けることが大切なのでしょう。
吾は、近頃謙虚さがなくなってきた様な気がします。
歳のせいだけではない様ですが………
* 釣り人の 引手に残る 鮎の影
2020.08.30.moai291
「これ何? よそ見」
「これ何? 」:クソはクソ、コヤシはコヤシ
「仏道とはよそ見せんこと。
そのものにナリキルことである。これを三昧という
飯を食うのはクソをするためではない。
クソをするのはコヤシをつくるためではない。
ところがこのごろは、学校へ行くのは上の学校へ行くため、
上の学校へ行くのは就職するためと思っている。」
(澤木興道)
・三昧:心を一つの対象に集中して動揺しない状態。
何かに熱中して余念のないこと。
若いうちは「ウエ」を見るのも重要かと。
「ウエ」は「上」であり、「飢え」でもあり得る。
つねに「上」を目指す事も必要であるが、現在の
ポジションを精いっぱい生きる事が重要であると
澤木老師は言いたかったのでしょう。
「今を生きる」と言うことなのでしょう。
* 夏神楽 震える声の 晴れ舞台
2020.08.28.moai291
「これ何? グループ呆け」
「これ何?」:集団、手段、終段
「いま時分の奴のやることは、みな集団をつくって、
アタマ数でゆこうとする。
ところがどこの集団もグループ呆けばかり、
金がほしいというのもグループ呆けなら、
エラクなりたいというのもグループ呆け。
いわんや党派をつくるなど、グループ呆けの代表である
そんなグループ呆けをやめて
自分ぎりの自分になることが座禅である」(澤木興道)
・自分ぎりの自分⇒「天上天下唯我独尊」と理解。
集団に功罪があることは確かである。
しかし、一人で生ききることは、凡夫には難しいので、
集団をつくる。
集団のモチベーションの善し悪しは、その組織の
「長」が担うこととなる。
「長」の判断も、組織としては、その判断が否定され得る
こともある。
ここに集団を動かすことの難しさがある。
「集団」は、あくまでも「手段」であって、
「終段?」ではない。
* 渡風亭 丸ごと食す 香魚かな
2020.08.27.moai291
「これ何? 如何に 」
「これ何? 」:なすべきは
「人生とは複雑なものである。
天から火が降ってくるような戦争の時もあれば、
炬燵の中で昼寝しているような時もある。
また徹夜で働かねばならん時もあれば、
酒を飲んでいる時もある。
こういう人生を、仏さまの教えによって、
どう始末してゆくかが仏法である。」(澤木興道)
この様に複雑と思える人生の中で、なにをすべきかを
考えることに大きな意義があると言う事なのでしょう。
さて、
若者の役割は如何に………
年寄りの役割は如何に………
男女の役割は如何に………
人と自然とのかかわりは如何に………
etc
* 放下せり 家出を決めし 暑き夜
2020.08.25.moai291
(放下:一切の執着を捨て去ること。)
「これ何? 染汚」
「これ何? 」:ゼンナ
『世の中に表彰ということがあるが、ロクなことではない
表彰されると「はばかりながら……」という染汚(ぜんな)が
おこりがちだから。』 (澤木興道)
・染汚(ぜんな):仏法等について誤った見方をすること。
表彰されることによって、当人のモチベーションが上がるなら、
表彰もそんなに悪い事ではないとも思われます。
表彰に全く頓着していない人もいます。
身近で、「叙勲」を頂いた方を知っていますが、
特に断る理由もないから、もらったと言っていました。
不染汚(ふぜんな)の心がある方なのでしょう。
人間は「何が欲しくて」生きているのでしょうか?
表彰のみではないはずですが………表彰も?……。
* 泳ぎ切り 振り返りみる 烏帽子岩
2020.08.23.moai291