どういう意味?

「ことば」の解釈斜め読み

「これ何? 安住 」

 「これ何? 」:住む処
 
 「真実を離れて別に生活の場があるのではない。
  また、その場その場が真実である。
  真実をさとる道が遠くにあるだろうか。」(肇論)
 
 「安住の場所は、この世を超えた処にはない」、
 「真実をさとる場所も身近にある」と説いています。
 
     人の心の安らぎを感ぜられる処は、自分の住む処であり、
「理」も「悟り」も身近にあるが、それに気づかないのが
 凡夫と言うことなのでしょう。
 
  政府は、「Go-To何とか」と言う政策?を行い、
 国民も ”お安く旅行が出来るワ”、
 ”通常30,000円のホテルが15,000円で
 泊まれるそうよ、行きましょうよ” などと
 ノンキなことを宣っている者がまだいます。
 
 ”巣ごもり状態でストレスがたまっているから
 しょうがないでしょう”  などと言っていますが
 我慢のできる・我慢をすべきストレスなのでは
 無いのでしょうか?
 
      この状況下でも、いわれのない誹謗中傷を
 受けても、使命感を持って職を全うしている
 医療関係者等の事を考えれば、
 この様なノンキな事は 言っていられない筈ですが………。
 
  *Go-Toや 今年は乗らぬ 宝船
                  2021.01.03.moai291

「これ何? 閑居」

「これ何? 」:道・理(ことわり)
 
 「道を学ぶとき、激しければ身がつかれる。
  身がつかれると心が悩む。 心が悩むと
  行いを怠ける。行いを怠けると罪を犯す。」
          (四十二章経)
 
 何事も、「道」をとことん追求しようとすれば
身も心も病む(悩む)ことになる瞬間がある。
 
 そして、思考停止を起こし、怠け、罪を犯す様な
事になってしまうと教示しています。
「小人閑居して不善をなす」と言うことなのでしょう。
 
 さて、我は何事につけ、物事をとことん追求したことなど、
あったのだろうか?
 
 「勉学」にしろ、「趣味」にしろ、「仕事」にしろ、
激しく「道」を学ぶ境地で行ったことなど思い当たらない。
 
 我は、この意味からも、典型的な「小人」と思われます。
しかし、「罪」を犯すことだけは、幸いにも無かったはずです。
 
 無かったはずですが~、
  本人が気づいていないだけかも知れません………。
  知らぬ間に他者を傷つけていたりして……………。
  知らぬが仏ではすまされないような………………。
 
 * 除夜の鐘 時は何処へ 流れたか
                   2021.01.02.moai291

「これ何? 新年 」

「これ何? 」:新たな年に寄せて
 
 「幸せは自分で作る。不幸せも自分で作る。
  まったく他人の仕業ではない。」
       (ジャータカ物語)
 
 今を生きていること自体が幸せな筈であるが、
人は往々にして、不幸せな事態に遭遇すると、
他人のせいにすることがある。
 
 今年起きるであろう様々な事象も
他者のせいにして責任を転嫁する事など無き様、
自然体で精一杯生きていきたいと思う
雪の年明けの朝です。
 
 * 二十四時 今の吐息は 去年今年
          2021.01.01.moai291

「これ何? 利行 」

  「これ何? 」:明日から
 
 「利行は一法なり。
  あまねく自他を利するなり。」
        (道元
 
 他者のためを思って行う唯一無二の行為は、
自分も他者をも利益を受ける事になると説いています。
 
 この一年、自分はどれだけ他人のために
行動が出来たのだろうか?
 
「新型コロナ」のせいにすべきではないのだが……。
 
 明日から、2021年が始まります。
他者への思いやりを忘れず、心静かに
自然体で過ごしていきたいものです。
 
 * 宝くじ  一夜の夢か 去年今年
         2020.12.31.moai291

「これ何? 朝夕」

「これ何? 」:生死
 
 「朝早く見かけた人も、夕方会えない人がいる。
  夕方見かけた人の中にも、朝早く会えない人がいる。」
              (ジャータカ物語)
 
 この世は無常、人の生死は予測できない、
死は、時間・場所を選ばせてくれないと
言うことを教示しています。
 
 人は、「生きている」のか、「生かされている」のか
どちらなのでしょうか。
 
 判らないからこそ、この瞬間をより大切に
生きなければならないと言うことなのでしょう。
 
 大臣経験者の国会議員さんが、「新型コロナ」で
お亡くなりになられました。
「ご冥福をお祈りします」としか、言う言葉が見つかりません。
 (国会議員だからと言う訳ではありません……。)
 このことは、今一度、新型コロナ対策を抜かりなく実践していく
事の重要性を教えてくれたものだと思っています。
 
  *  来客と 話すことなき 松飾り
      2020.12.30.moai291

「これ何? 住む 」

 「これ何? 」:開放
 
 「善人と住むのが良い。
  善人に親しみ近づくのが良い。
  さすれば、善人の教えを受けて、
  すべての苦しみから開放される。」 (釈迦)
 
 「善人」と近くして、その教えを授かれば
苦しみから開放され、救われるとしています。
 
 誰しもが「善人」と付き合いたいと思うのは
当然の事だと思われます。
 
 しかしながら、「善人」と見ゆる者でも実は
「悪人」であったと言うこともあり得ます。
 
 善人の中にも「悪」はあり、悪人の中にも「善」が
あると言うことなのではないのでしょうか。
 
 「善人」と「悪人」を簡単に棲み分けする事など
到底不可能な事ではないのでしょうか。
 
 自分にとって都合の悪いことを言う者を
「悪人」と決めつける風潮は、如何ともし難い
現実なのでしょう。
 
 つねに他人の立場に立って物事を考える事が
自ずと「善」、「悪」を判断する手がかりの
一つとなるのでは、と考える今日この頃です。
 
  * 夜明け前 犬小屋の餌 凍りつき
        2020.12.29.moai291

「これ何? 悠久 」

「これ何? 」:奢れる人
 
 「奢れる人久しからず、唯春の夜の夢のごとし。
  猛き者も遂には滅びぬ、
  偏に風の前の塵のごとし。」 (平家物語
 
 世の無常を説いています。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり~ )
 
 しかし、現代では、政治家の地位や権力の
消長を表しているようにも解釈できます。
 
 この一節は、AB前総理が一番堪えている言葉でしょう。
でも、堪えているところが全く見えない。
 堪える位の知性はあると信じていたのに。『残念』…
 
 それにしてもABが総理時代に、
腰ぎんちゃくみたいに行動を共にしていた
者(AZ)が、豹変して、正義の味方みたいな
発言をしだすとは………。
 
 政治家と言うものは、なんだか変………。
 
  * 風花や 今年の暮は 帰省せず
      2020.12.28.moai291