どういう意味?

「ことば」の解釈斜め読み

「これ何? 数百年後の恩返し」

   「何これ?」:遊行
 
 「もしも心の安定を失っているのなら、
  国々を歩き回るのに何の用があろうか。
  それ故に放漫を抑えて、心が乱される
  ことなく、瞑想せよ。」(『テーラガーター』)
 
    形式だけを守っての修行に、
    何の意味があろうか。
 
 【今日の思込】:たとえ生まれ変わったとしても…
 
  床が抜けそうな貧乏寺?の改築費用を寄付したのは、
 異教徒の「潜伏キリシタン」の子孫だったと言うお話。
 
  東シナ海を望む長崎市樫山地区にある「天福寺」。
 
  寺は貧しく、本堂の床は抜け落ちそうで、
 お布施の収入は月6万円ほどしかなく、
 檀家に改築費用を募っている最中の出来事。
 
  この寺に、仏教徒ではない者達から、
 約400万円もの寄付の申し出が………
 
  この者達は、
 「私たちは潜伏キリシタンの子孫です。
 お寺のおかげで信仰と命をつなぐことができました。
 少しでも恩返しがしたい」と寄付の趣旨を説明……
 
  1688年に建立された「天福寺」は曹洞宗のお寺。
 この寺には、キリスト教が禁止され厳しい取り締まりと
 弾圧があった江戸時代に、危険を冒してまでも
 潜伏キリシタンを檀家として受け入れ、
 積極的にかくまった歴史があった。
 
  また、信仰対象(マリア像)が没収されることを
 危惧した浦上の信徒が、その像を「天福寺」に託した
 と伝えられ、今もそれは本尊の隣に安置されている。
 
 
  寄付を申し出たカトリック信者は30人ほど。
 寄付の理由を、
 「天福寺に何かあったときは助けるようにと、
 代々伝えられてきたから」と言う………
 
  この寺の住職は、「うれしかったと同時に、
 『三時業』という仏語が浮かんだ」と言う。
 
  三時業とは、善悪の業の報いを、本人が受けずに
 死んだとしても、生まれ変わった後にその報いを
 必ずや受けるという教え。
 
  数百年前にキリシタン信徒を護ったこの寺の
 先人たちの行いに対して、本当に世代を超えて
 良い報いが来たと実感したと住職は語っている。
 
  反対に、もし「天福寺」が当時、
 キリシタンを弾圧する側に協力していたとしたら、
 今ごろどうなっていたのだろうかとも思ったとも言う。
 (もしも弾圧する側に回っていたら…転覆していた天福寺?…)
 
  人間と言うものは、こんなに、お互いへの
 心づかいが本来出来るものなのに………
 
  現代においては、対立をあおり、外敵をつくる
 政治手法は、戦争へまっしぐらの危険を孕んでいる。
 
  これを是正する方向性は全く見えていない……
 何故だろう………
 
  * 寒稽古古刹の意地を見る思ひ
         2023.12.10/moai291
  ※世界平和のためと、自身のために「節電」しましょう。
    我が家の節電等:(弾圧回避の節電?…なんやそれ……)
   ●思いは人それぞれです。内容は当然の事ながら「個人的見解」と言う事で……