「人は「阿留辺畿夜宇和(アルベキヨウワ)」という七文字を持つべきなり。
僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。」 (明恵上人)
当時は混乱した時代でもあり、僧・俗とも生き方に乱れが生じていました。
それ故に、「自分は来世では、極楽へ行きたい、現世などどうでもよい」と
思う者が多く存在していました。
「あるべきようわ」とは、戒も律も守らず、俗人以上に俗な生活を送って
全く恥じいる事も無い当時の僧侶達に対して、自分がなぜ僧なのかを
今一度向きあえと言っています。
僧は僧のあるべき様、
俗は俗のあるべき様なり。乃至、
帝王は帝王のあるべき様、
臣下は臣下のあるべき様なり。
此のあるべき様を背く故に、一切悪しきなり。
明恵上人は、「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)」について、
「此の世に有るべきように有ろうとすることが大切である」 と
説いています。
そこには強い意志力が必要であり、単純に「あるがままに」と言う
ものとは、本質が違います。
明恵上人が「あるべきように」とせずに「あるべきようは(わ)」と
していることは、決してただ単に「あるべきように」生きようと言う
単純なことではありません。
自身にとっての 「あるべき姿(あるべき様は)」 は何なのかを、
現状と未来を見据えて、主体的に常に意識して処世せよ」 と
説いています。
道をしへ 祈りの中の 高山寺
2020.06.14 moai291