どういう意味?

「ことば」の解釈斜め読み

「道をしへ (慈10) 」

「人は「阿留辺畿夜宇和(アルベキヨウワ)」という七文字を持つべきなり。

 僧は僧のあるべきよう、俗は俗のあるべきようなり。」 明恵上人)

 

  明恵(ミョウエ)上人は、鎌倉時代前期の華厳宗中興の祖。

 

 当時は混乱した時代でもあり、僧・俗とも生き方に乱れが生じていました。

それ故に、「自分は来世では、極楽へ行きたい、現世などどうでもよい」と

思う者が多く存在していました。

 

 「あるべきようわ」とは、戒も律も守らず、俗人以上に俗な生活を送って

全く恥じいる事も無い当時の僧侶達に対して、自分がなぜ僧なのかを

今一度向きあえと言っています。

 

  僧は僧のあるべき様、
  俗は俗のあるべき様なり。乃至、
  帝王は帝王のあるべき様、
  臣下は臣下のあるべき様なり。
  此のあるべき様を背く故に、一切悪しきなり。

 

 明恵上人は、「阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)」について、

「此の世に有るべきように有ろうとすることが大切である」 と

説いています。

 

 そこには強い意志力が必要であり、単純に「あるがままに」と言う

ものとは、本質が違います。

 

 明恵上人が「あるべきよう」とせずに「あるべきよう)」と

していることは、決してただ単に「あるべきように」生きようと言う

単純なことではありません。

 

 自身にとっての 「あるべき姿(あるべき様は)」 は何なのかを、

現状と未来を見据えて、主体的に常に意識して処世せよ」 と

説いています。

 

  道をしへ 祈りの中の 高山寺

             2020.06.14 moai291